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丸吉優眠館 - 店長ブログ

”ねる歴史”を読んで

1486172_467108376728075_1227347727_o今週読んだ本です。題名の通り日本における”寝る歴史”について書かれています。そもそもこの日本の土地に人類が棲息を始めたのは今から約1万8千年から2万年前と言われています。それ以来1万幾千年は石器時代でその後の縄文土器時代は4、5千年にわたっています。そのような人々の暮らしの中で家はなんのために存在したか。今で言う玄関はもちろん客間も仏間も書斎もおそらくキッチンもトイレも無いなかで、唯一残るものそれはは”休む”ためだけのようです。その休むことも”憩う”臥す”という言葉が使われ”寝る”はまさに男女の交会(まぐわい)を意味していたようです。もちろん現代でもその意味で使うときもありますので、どんな時代も男女の関係は変わらないです。また、男女の交会は豊作や狩猟の成功を願って神聖で呪術的な意味も含め、当時は大乱交だったようです。また当時の王室では寝具は敷きしかなく、それは畳を使用していました。もちろ現代のような畳ではなくネゴザのようなものでした。そして王室がネゴザですから一般市民はまだまだおよそ寝具と呼べる者は使っていなかったことになります。また寝る道具の名前も”ゴザ”や”タタミ”ではなく”衾(フスマ)”と呼ばれたいました。その後平安時代では源氏物語などに出てくるように現代風の畳に直接寝て上に直垂衾(ひたたれぶすま)と呼ばれる掛け蒲団として使われるものが登場してきます。これは日中身にまとっていた服を寝るときに掛けフトンそして使っていたようです。また、宮廷生活で天皇クラスは今でいう天蓋ベッドのような物で寝ている絵があり、案外ベッドっぽい生活も古くからあることが解ります。中に綿が入ったいわゆる蒲団は鎌倉時代に坐禅の具として座蒲団として登場していますので、最初は座布団だったことがわかります。元禄時代の好色一台男で遊廓にてフトンが発展してきた内容が書かれています。遊廓には五階級ほどの階級制があり、上級でも当時は女が自前でフトンを用意するらしく、そのためお客にフトンをおねだりする歌があります。そして下の階級ではゴザが用いられていたようです。ちなみに遊廓を利用するための費用は一緒に揚げ代(遊ぶお金)に茶屋代(場所代)プレゼント代などがかかり一回につき100万位かかったそうです。蒲団の発展の要は男と女と考えると人人類の発展も男と女の関係になるんですね。ちなみに江戸時代の一般庶民は紙衾を使っていたようで、八王子の製紙博物館に実物があるようですので今度身見に行ってきます。


2014年01月24日



             
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